スタートで前に出られるのは0.17秒差から。艇1隻ぶんです
ST差と1コースの1着率
約26万レースについて、1コースの艇が 「レース内で最も早い艇に対してどれだけST(スタートタイミング)で負けたか」で分けました。
| 1コースのST負け | 1着率 | 起きる割合 |
|---|---|---|
| 先行している | 68.7% | — |
| ほぼ互角(±0.03秒) | 60.2% | — |
| 0.03〜0.10秒 負け | 41.8% | — |
| 0.10〜0.17秒 負け | 16.7% | 10.7% |
| 0.17秒以上 負け | 3.4% | 2.6% |
0.10秒までは、負けていても4割は逃げ切っています。 ところが0.17秒を境に、1着率は3.4%——ほとんど無くなります。
なぜ0.17秒なのか
競走用ボートの全長は約3.3メートル。スタート時の速度はおよそ秒速19メートルです。
3.3 ÷ 19 ≒ 0.17秒。
つまり0.17秒の差とは、艇1隻ぶん前に出られている状態です。
艇1隻ぶん前に出られると、相手の引き波の外に自分が置かれ、 進路を押さえられます。逆に0.10秒差(艇の半分ほど)では、 まだ並んでいる状態なので、押さえ切られません。
この数字は統計から出したものですが、艇の長さという物理量と一致しました。 モデルの中に、競技の実体と結びついた境目が見つかったことになります。
ただし、この計算には「両艇の速度が同じなら」という前提が入っています。 実際にはコースによって助走距離が違い、速度も違います。 その点を確かめたところ、話はもう少し込み入っていました。次に書きます。
ただし、0.17秒は全コース共通ではなかった
ここまでは「レース内で最も早い艇」に対する差で見てきました。 検証を進めると、相手が何コースかで、同じ0.17秒の意味がまるで違うことが分かりました。
1コースが各コースにST差で負けたとき、1着率がどうなるかを分けて測りました (各組およそ47万レース)。
| 負けた相手 | 0.10〜0.17秒 | 0.17秒以上 |
|---|---|---|
| 2コース | 8.9% | 1.4% |
| 3コース | 14.6% | 2.1% |
| 4コース | 16.6% | 3.4% |
| 5コース | 21.2% | 5.1% |
| 6コース | 24.3% | 6.7% |
内の艇に負けるほうが、はるかに致命的です。 2コースに0.17秒負けると1着率は1.4%ですが、 6コースに同じだけ負けても6.7%——約5倍の開きがあります。
加速だけでは説明がつかない
4〜6コースは助走距離が長く、スタート時の速度が速くなります(ダッシュ)。 速度が速いほど、同じ時間差でより長い距離を進むので、 ダッシュ勢どうしなら0.17秒より小さい差で前に出られるはず—— これは物理としては正しい理屈です。
ところが実データは逆を向いていました。 隣り合うコースで「外の艇が内の艇より上の着順に入る率が50%になるST差」を求めると、こうなります。
| コースの組 | 性質 | 50%になるST差 |
|---|---|---|
| 1と2 | スロー同士 | 0.072秒 |
| 2と3 | スロー同士 | 0.030秒 |
| 3と4 | スローとダッシュ | 0.036秒 |
| 4と5 | ダッシュ同士 | 0.044秒 |
| 5と6 | ダッシュ同士 | 0.067秒 |
ダッシュ勢どうしのほうが、大きな差を必要としています。 速度の理屈が正しいなら逆になるはずです。
効いているのは横方向の距離だと考えています。
6コースは1コースから艇5隻ぶん離れています。艇1隻ぶん前に出ただけでは、
まだ相手の前を塞げません。前に出たうえで、内側へ回り込む距離が要ります。
一方2コースは真隣にいるので、もっと小さい差でも影響します
(実測では0.072秒で着順が入れ替わります)。
加速の効果は確かにありますが、この横距離の効果のほうが上回っていたということです。
つまり「0.17秒=艇1隻ぶん」は、 前に出るために必要な条件ではあっても、十分な条件ではありません。 外から仕掛ける艇には、そこからさらに距離が要ります。
モーターでも変わる
スタートで並んでいても、そこからの伸びが違えば結果は変わります。 ST差がほぼ互角(±0.02秒)の場面だけを取り出し、 モーターの出来(2連対率)で分けました。
| コースの組 | 外のモーターが劣る | 互角 | 外のモーターが勝る |
|---|---|---|---|
| 1と2 | 20.5% | 23.8% | 26.7% |
| 2と3 | 39.9% | 43.9% | 47.1% |
| 3と4 | 37.6% | 41.1% | 44.7% |
| 4と5 | 37.4% | 40.6% | 43.9% |
| 5と6 | 35.2% | 37.7% | 40.4% |
全ての組で一貫して3〜6ポイント動きます。 スタートが互角なら、あとは伸びの勝負になるということです。
「差されるか、まくられるか」は、選手の技術の話であると同時に、 スタートで何メートル前にいて、そこからどれだけ横に動けるかという位置の話でもあります。
ではSTを予測できるのか
ここが難しいところです。実測STは事前には分かりません。 展示航走のST(スタート展示)を使えばよさそうですが、使えません。
スタート展示のSTと本番のSTの相関は0.048——ほぼ無関係です。 展示はタイミングを合わせる練習ではないため、信号になりません。 公式が出している平均STのほうがまだ相関があり、それでも0.228です。
そこでモデルを組んで予測したところ、実測STとの相関は0.353まで上がりました。 平均STだけを使う場合(0.221)より改善していますが、 個々のレースでSTを当てられるわけではありません。 分かるのは「だいたいこのくらいの範囲に散らばる」という分布です。
そこで「Aの艇がBの艇に0.17秒勝つ確率」「0.10秒勝つ確率」という形で扱っています。 当てるのではなく、起こりやすさとして持つということです。
ここで一度まちがえました
2艇のST差のばらつきを計算するとき、最初は 「それぞれのばらつきを独立に足す」という素直な方法を使いました。これが誤りでした。
同じレースの艇のSTには相関0.467があります。 風や水面の状態は全艇に共通なので、全員が同時に早くなったり遅くなったりするためです。 分散を分けると、レース全体で共通する部分が0.0495、艇ごとの部分が0.0443でした。
差を取ると共通部分は打ち消し合うので、独立と仮定した計算は実測より38%も大きく出ていました。 その結果、「前に出られる確率」を過大に見積もっていたことになります。 縮小率を実測して補正したところ、予測2.0%に対し実際1.6%と噛み合うようになりました。
実際にどう効いているか
この考え方をモデルに入れたところ、 「内の艇に0.10秒差で並ばれる可能性」が、全99項目のうち重要度2位になりました。
興味深いのは、完全に抜かれること(0.17秒以上・発生率2.6%)よりも、 並ばれること(0.10秒・発生率10.7%)のほうが効いている点です。 めったに起きない決定的な出来事より、 日常的に起きる「並ばれて主導権を握られにくくなる」ほうが、結果を左右しています。 半艇身では前に出られませんが、その分だけ相手が有利になる—— その積み重ねのほうが効いている、ということです。
この検証について
使ったのは公開データだけです。実測STはレース後にしか分からないため、 モデルの特徴量には入れていません(入れると「結果を知っている」ことになります)。 実際、一度この混入を起こして、気づいて取り除いています。 取り除いた後も改善は残りました。
なお本稿は「STが読めれば勝てる」という話ではありません。 スタート展示が使えないことからも分かるとおり、 事前に分かる部分は限られており、その大半は市場も見ています。 ここで書いたのは、モデルが競技の構造をどう表現しているかです。